「二刀流」でいまやアメリカメジャーリーグでも大きな話題となっている大谷翔平選手。
花巻東高校時代から投打に注目されていた大谷翔平ですが、甲子園成績はどのようなものだったのでしょうか?
実は、意外にも大谷翔平は甲子園でそれほど目立った活躍はできませんでした。
しかし当時の同級生の「怪物投手」からホームランを打ってました!
大谷翔平は最初野手として起用されていた!
地元岩手県の花巻東高校に進学した大谷翔平選手。
1年生の春から「4番ライト」で公式戦に出場するなど、先輩たちよりも実力は群を抜いていました。
当時の花巻東高校の佐々木監督は、大谷翔平を
「骨が成長段階にある」
と判断して、1年生の夏までは投手として起用せずに野手として大谷翔平選手を起用していました。
しかし、1年生の秋からはチームのエースとして起用され、1年生の段階で最速147km/h、2年生の春には151km/hをマークするなど、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ注目を浴びるようになりました。
大谷翔平の甲子園成績は?
大谷翔平選手は甲子園には2年生の夏と3年生の春に2度出場しています。
甲子園での成績はどのようなものだったのでしょうか?
初戦で帝京高校と対戦したのですが、そのときは「骨端線損傷」というケガにより、投手としてではなく「3番ライト」で先発出場していました。
しかし4回途中から投手としてついに甲子園の初マウンドにあがります!
そして、その試合で150km/hをマークし、甲子園での高校2年生での最速タイ記録(当時)を樹立しました。
同じ高校2年生で甲子園150km/hをマークしていたのが田中将大投手(駒大苫小牧高)です。
2人ともいまやメジャーリーガーで、しかもチームの中心といっても過言ではない選手。
素晴らしいプロのキャリアですよね。
大谷翔平選手が甲子園初マウンドに上がった帝京高校戦では、5回2/3イニングで、
球数 :105
被安打:6
奪三振:3
失点 :3
という成績でした。
打者としては、3打数1安打1四球1死球で、1本のヒットはレフト前ヒット。
花巻東高校は帝京高校に7-8で負けてしまいました。
そして、3年生となった大谷翔平は春のセンバツに再び甲子園に戻ってきます。
そのときの初戦の相手が優勝した大阪桐蔭高校!
同期のライバルともいうべき藤浪晋太郎投手が絶対的エースでした。
試合の結果は2-9で花巻東高校は大敗…。
大谷翔平は投手として先発登板するも、9失点11四死球と大荒れで不本意な結果に終わりました。
「打者大谷翔平」としては、3打数1安打1本塁打。
そうです。
あの藤浪晋太郎投手から大谷翔平はホームランを打っていたのです!
ホームランを打たれた藤浪晋太郎にとって、大谷翔平は「驚異的なスラッガー」と認識していたようで、藤浪晋太郎は
非常に柔らかいスイングで、低めの変化球への対応とか見切るのがうまいですし、すごくセンスのあるバッティングをすると思います
引用元:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34721
このように話していました。
試合には負けてしまったのですが強烈なインパクトを残したのは間違いなくて、当時のプロ球団のスカウトも「打者大谷翔平」に非凡なセンスを感じていました。
その大谷翔平選手も夏は岩手県大会の決勝でチームが破れてしまい、甲子園では2試合の出場にとどまりました。
岩手県予選では投手として160km/hをマークしていただけに、甲子園で大谷翔平を見れなかったのが残念だったと私も記憶しています。
大谷翔平の甲子園成績です。
打者
2試合で6打数2安打1本塁打、打率.333
投手
イニング:14回1/3
奪三振:16
防御率:3.77
大谷翔平の甲子園成績まとめ
大谷翔平選手のプロに入ってからの華々しい活躍と比べると、高校時代の甲子園成績は派手に目立つものではありませんでした。
しかし、藤浪晋太郎投手からホームラン、投手としても投げたイニング数よりも奪三振のほうが多く、大器の片鱗を甲子園でも見せていたことは間違いありません。
いま現在24歳となった大谷翔平選手は、まだ体は成長段階とも言われています。
高校生当時ももちろん体が出来上がっていたわけではなく、それを花巻東高校の佐々木監督もわかって成長プランを練っていたことに頭が下がる想いです。
日本ハム時代の栗山監督もそうでしたが、大谷翔平選手が投打に群を抜いた実力を持っていたからこそ、大事に育ててくれたのだと思います。
もちろん、修行僧のように野球に没頭する大谷翔平選手の努力も見逃してはいけません!
甲子園成績が良かったからといって、必ずしもプロでのキャリアで成功するわけではありませんし、逆もまたしかりです。
それを大谷翔平選手が体現しているのではないでしょうか?
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